「最年少執行役員」のキャリア。挫折と成長のリアルに迫る
こんにちは、ユニラボ採用チームです。今回は、最年少でユニラボの執行役員に就任した今泉さんに、今までのキャリアのお話を伺いました。「最年少で執行役員」と聞いてイメージするのは、大学時代からバリバリベンチャーで働き、そのまま就職して……という人物像かもしれませんが、今泉さんの経歴は意外そのもの。
「今後ベンチャーで成長したい!」「いつかはボードメンバーを目指したい!」と思っている人にとって、学べることがたっぷりのロングインタビュー。ぜひご覧ください!
一本道の人生を歩んでいた大学院時代
――今泉さんは理系の大学院を卒業されていますよね。元々大学院への進学は考えていましたか?
そうですね、院に行くだろうとは大学進学の時点から思っていました。入学時は正直、大学院が何をするところなのかよくわかっていなかったのは事実ですが……(笑) 私がいた大学の理系学部では、大学院に進学するのが大多数という状態で、実際9割以上が大学院に進学していました。就活の観点でも大学院を卒業していた方が有利だったので、ごく自然に進学しました。
――その頃から、将来こんな職に就きたい!という希望はあったのでしょうか。
具体的な希望はなかったです。なんとなくメーカー系の企業に行くだろうな、とぼんやりと考えている程度でした。私がいたのは工学部だったので、いわゆる「手に職」に近い領域。結果的に僕は鉄鋼系の大手企業の研究職をファーストキャリアとして選びましたが、自分が研究職になるかどうかも全然想像がついていませんでした。
――今泉さんの「就活の軸」は何かあったのでしょうか?
これも「理系あるある」なのかもしれませんが、私はそんなに力を入れて就職活動はしていないんです。学科全体でも、繋がりのある企業に推薦で入る人が多く、私自身も最終的には推薦で三菱重工に入社しました。どちらかというと、材料・素材系に携わるよりも、製品に近い業種が良かったので、選択肢の中で一番大きく安定している企業を選んだ、という感じです。まさに「よくある理系大学院生の、一本道の就活」という感じでした。
社会に出てみて、「自分が人生で何をしたいのか」見つめ直した
――三菱重工さんではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
私が在籍していたのがおよそ1年半、その間に金属造形に関する研究開発をしていました。まだまだ一年目だったので、実務に携わるというよりはテーマを与えてもらって研究して発表して、の繰り返しの日々でした。初めて社会に出て、仕事をして、社会人としてのスキルは一通り学べたと思っています。一社目もすごく理系っぽい環境だったので、上司や先輩に自分の研究テーマについて話をする機会が多かったのもいい経験でした。合理的に伝えること、しっかりと説明する力はその時に身についたと思っています。
――大学院時代から「理系人生」を歩んできた今泉さん。いつ頃転職の契機が訪れたのでしょうか?
一年半くらい三菱重工で働いて、仕事自体はとても楽しかったです。ただ、かなり狭い範囲での就職活動しかしていなかったことがずっと心のどこかで引っかかっていたんだと思います。「この環境しか知らずに生きていっていいんだろうか?」という不安が、最初のきっかけでした。いきなり、絶対に転職活動しよう! と決めて動き始めたわけではなく、自分が人生で何をしたいかを向き合うために色々な企業を見に行こうと思い始めました。
――その時は、どのような会社に興味を持っていたのですか?
正直にいえば、何もわからなさすぎて何をすればいいのか最初は全然わかりませんでした。世の中にメーカー以外にどんな会社、業種、職業があるのかすら曖昧で……だからこそ、最初にしたのは「理系職を外す」という選択でした。今まで理系で生きてきていたけれど、全く別の仕事を見てみようと思ったんです。では文系職ってなんだろう、と思ったときに最初に浮かんだのがコンサルティングや商社。その後、人材業界などにも興味が湧いてきて、色々な会社を見に行きました。
――事業規模などに関しても絞って会社を探していたのでしょうか。
最初は大手を見ていたのですが、当時の自分には面接や会社の情報から全体像を把握できず、「入社した後の自分がどうなるか」のイメージをつけられませんでした。大手企業へ転職するのであれば、職域が変わっても今の会社にいて得られるものとそんなに変わらないのではないかと思い始めたんです。そう思ってベンチャー企業も視野に入れ始めましたが、これもまたピンからキリまで色々な会社があって驚きました。トップダウンな風土、いわゆるベンチャーのイメージ通りの企業、創業まもないけれど堅実に事業を進めている企業、それぞれの特色が見えてきたんです。
尊敬と熱意。一緒に働く人の重要性
――事業規模や領域を絞りすぎず、さまざまな会社を見てきた中で今泉さんが「惹かれる会社」に共通点はありましたか?
人が素敵だった会社に惹かれていました。理系職以外の色々な世界を見てみたい、という思いからスタートした転職活動でしたが、最終的にはその会社の実態が見えてくることが重要になっていったんです。会社を選ぶ上で色々な要素があると思いますが、私は一緒に働く以上はしっかりやっていきたいと思っていました。だらだらやる気なく働くというのは絶対に嫌で……。働く人々の仕事への向き合い方が重要なんだと気づきました。
――その中で今泉さんはユニラボと出会い、選考を受けてくださいましたよね。当時の今泉さんにとって、ユニラボのどこが魅力的でしたか?
仕事の話をするときに、一人一人が熱い想いを語れること。加えて、尊敬できること。この二つがとても大きかったです。すごく定性的な表現で理系っぽくはないのですが(笑)、最後はやっぱり「ユニラボの人たちって話しやすいな、波長が合うな」という感覚を覚えたこともとても魅力でした。
――ユニラボのビジョンは「受発注を変革するインフラを作る」というものです。このビジョンに対する共感はありましたか?
正直にいうと、研究職として社外との折衝の経験がない私にとってはBtoB受発注領域と言われても全然ピンときませんでした。ただ、インフラを作るというビジョンの大きさには惹かれました。面接の段階でその重要性を教えてもらって理解は進みましたが、それが転職先決定の大きな要因になったかというと、そうでもなかった気がします。ただ、ユニラボはこの領域において先行プレイヤー。トップを走っていて、大きなビジョン達成を目指しているということに強く惹かれたんです。BtoB受発注領域の不の解消が世の中にとって重要なことだと実感を持てたのは、入社してからでした。
――最終的に今泉さんがユニラボに入社した決め手を教えてください。
ユニラボの話を始めて聞いてから入社まで、実は半年くらい期間が空いています。当時のユニラボはまだ人が20人くらいの小さな組織だったので、多くのメンバーと会わせてもらえました。会社が目指していく大きな目標から、各事業部の達成すべきことまで色々と聞かせてもらう中で、20代半ばから後半くらいの人たちが強い意志を持って働いていることに尊敬を覚えました。半年くらいかけてユニラボを知り、代表やメンバーと話を重ねていく中で、「ユニラボに入社したらもっとワクワクすることが増えそう」と思うようになったんです。
ユニラボに入社して感じた楽しさと挫折
――半年間の転職活動を経てついにユニラボへ。入社した当時はどのような心持ちでしたか?
とにかくフレッシュな気持ちでなんでもやってやろうと思っていました。短いスパンでの変化を楽しみ、好奇心を満たして、結果を出して、会社を大きくしていきたいという希望に溢れていた時期です。もちろん、初めての転職、初めてのベンチャーで不安もありましたが、それでもとてもワクワクしていました。
――ユニラボに入って最初はどのような仕事を始めたのでしょうか。
代表の栗山さんに、「ポジションはなんでもいい、今の自分にとって良いと思うところに入れて欲しい」と伝えていました。結果的に、最初の一ヶ月は新規営業の部署に配属されました。その時は……正直、天狗になっていました(笑)。新規営業の部署に配属されて1週間くらいで契約を取ることができたんです。今の自分ならなんでもできる! とテンションが上がって、「月の目標なんて余裕です」って言い切ってました。結局初月はその最初の一件だけで他には契約が取れず、営業目標未達成で終了しました。一番最初の反省です。
――今泉さんは、2ヶ月目から新規営業ではなく継続営業のチームに移動されていますよね。そこではどのようなことをされていたのでしょうか?
入社して二ヶ月目に「新規で立ち上がった継続営業のチームに人が足りない」ということになり、私もそこに配属されました。チームの立ち上げ期だったのでわからないことも多いながら必死で働いていたのを覚えています。ただ、入社して半年後、ふと代表の栗山さんに言われたんです。「よっちゃん(今泉さん)って、今何やってるの?」。自分としては色々なことをしてきたつもりだったのですが、代表から見ると自分が「何をやっているかもわからない」状態なんだとショックを受けたんです。環境は変えたけれど、結局自分は変わっていない。周りには活躍している若手がたくさんいる……振り返ってみると、自分はまだ何も成し遂げていなかったと気がついた時がユニラボでの最初の挫折でした。
――振り返って何も成し遂げられていなかった、と実感してから、どのように自分のスタンスを変えていったのでしょうか。
最初は本当に、何をしたらいいのかもわかりませんでした。自分を変えなきゃいけない、スイッチを切り替えないといけないと思っていても、実際の行動として何をしたらいいのか何も思いつかなくて苦しみました。ただ、何か動かないと変わらないことはわかっていたので、がむしゃらに動き始めたのがこの頃です。まだまだ小さい会社なんだから、自分でなんでもやってもいい、落ちてきたボールをひたすら拾っていったらいい、と当時のリーダーからアドバイスをもらってから、だんだん道筋が立ってきたんです。
――もう少し詳しくお聞かせください。スタンスについて「ボールを拾う」ことを意識する、というのは具体的にどのようなことなのでしょうか。
端的にいうと、仕事を「与えられる側」でいることをやめることが大切でした。自分から自分のできることを見つけて、周りに協力を仰ぎながらやっていくこと。立場の変化ではなく、意識の変化です。せっかく小さな会社に転職して裁量も増えたのに、当時の自分はずっと「与えられた仕事」の範囲でしかものを考えられていませんでした。自分がなぜその役割を担うのか、なぜそれをやるべきなのかを主体的に考えていないと、ただ仕事をこなす人になってしまうんです。意識しているうちに思考の癖がついてきました。ユニラボという環境も良かったと思います。個人の主体性を尊重し、やりたいことがあると声を上げれば「やってみよう」と周りが協力してくれて、フィードバックもくれて。その中で急激に成長することができました。
――自分が「変わってきたな」と思えるタイミングはいつ頃でしたか?
まずはとにかく落ちているボールを拾うこと、暇さえあればどこかにボールが落ちていないか探すこと、自分ができることからなんでもやっていくというのを半年くらい続けていった頃、自分で自分の存在価値が認められるようになってきました。自分が何者なのかという問いに答えられなかった昔に比べて、「自分は何者で、何を為しているのか」を自信を持って答えられるようになってきたんです。その勢いのまま、結果的に年間MVPを受賞できたのは大きな自信になりました。
挫折を乗り越え歩んだ先、執行役員就任とこれから
――苦しみながらもユニラボでの成長を経て、今泉さんは2022年頭から執行役員に就任されました。今のユニラボでの仕事はいかがですか?
大変なことも多いですが、今が一番楽しいです。幅広い経験をして、未経験の領域にも諦めずに挑んできました。その中で自分自身の成長をとても感じています。やれることの幅も広がって、どんどん周りの人に仕事や影響を与えられる立場になってきたと思っています。執行役員に就任してからは、「納得いかなければ自分で作れる状況」「色々な情報にアクセスできる環境」がいよいよ整って、知的好奇心が満たされています。まだまだ始まったばかりで至らないことがあるのも実感していますが、日々吸収して考えて、さらに成長と変化を感じています。
――これから今泉さん自身が学んでいきたいことについても教えてください。
レイヤーが上がるたびに、「個人ができる特化領域の”尖り”」と、「他の個性と渡り合う調整能力」のバランスが難しくなると痛感しています。メンバークラスのうちはどちらかというと、やりたいことや得意なことにどんどんチャレンジできるので尖っていた方が有利なんです。若手の頃からバランサーを目指す必要は必ずしもないと思っています。ただ、執行役員になったことで自分自身、「尖っている能力をさらに洗練させること」と同時に、バランスを取る力が必要になると感じるようになりました。経営に近づけば近づくほど不確定要素も増えます。ロジカルなだけでは答えが出ないことも、正解がたくさんあることも、たくさんあります。これからはバランス感覚を磨いていきたいです。
――これから社会人になる新卒の方や若手社会人の皆さんに向けて、キャリア設計のアドバイスをお願いします。自分のやりたいことを見つけたり、できることを増やすためにどのような取り組みをすると良いですか?
私もそうだったからよくわかるのですが、何をやりたいのかわからない、何から始めたらいいのかわからない……という人は多いはずです。でも、何をやるべきかわからなかったら、まずは目の前のことをやってみればいいと思っています。何よりも大切なのは、自分の中で目的を持つこと。どんな人になりたいか、何をできるようになりたいかから考えて動いていけばいいんです。経験を積んで、色々なものに触れていけば、自分がやりたいことを見つけられる可能性は上がっていきます。今持っている情報だけで何をやりたいか決められないなら、まずは目の前のことに取り組みましょう。
私の原動力は、常に「好奇心」でした。目の前の状況が、未知であるほど楽しくなる。知らないことを知りたい、という思いで目の前のことに全力で取り組んだ結果が今の私です。たくさんの人と話して、関わって、色々な経験を積む中で、自分がやりたいことを見つけていけるといいですね。